愛バカ日記

愛と平和が三度のメシより大好き。幸せな命を生きるための、多次元診察医をやっとります。

『私が愛されるわけがない』 っていうのは、『私は、女性ではありません』って、女の性を否定してるってこと。【沖縄の旅 ①】

わたしの魂のふるさと、沖縄にいってきました。

 

4月の地割り、やってきたよ。

 

こんにちは、依子です。

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行きの飛行機で。娘のくーやんをパチリコ。

faceboookのメッセージですこし書いたんだけど、今年の4月は地割り作業がとても大変だった。

 

4月は、慢性的なパターン。

 

まるで、お気に入りのバッグが体の一部になっちゃった!みたいな、『じぶん自身』との、お別れの儀式がある。

 

でも、それはじぶん自身じゃない。

 

だって、バッグだもん。

 

わたしたちは、身軽になればなるほど、すごく幸せになる。

 

毎日たのしくて、嬉しくて、生きてる歓びに満たされるようになる。

 

自分を幸せにすることも、夢を叶えることも、いとも簡単にできてしまう。

 

でも、持ち物が多いと、身動きが取れないよね。

 

持ち物が多い分だけ、体が重くなるでしょう?

 

この4月は、じぶん自身だと勘違いしちゃうくらいに、自分とくっついちゃった重い荷物を、

 

”これは私ではない。バッグだ!”

 

って宣言して、置いてくる月だったの。

 

自分とくっついちゃってるってとこが、ポイント。

 

だから、じぶんでは、分からないことが多い。

 

どこからが自分で、どこからが、バッグなのか。

 

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沖縄のビーチで。phot by もっくん。

 

このツアーは、沖縄にすんでる、ツアーコーディネイターのもっくんにお願いしていたの。

 

もっくんは、それはそれは、優しい男性。

 

たくさん調べものしてもらって、

 

たくさんの情報を貰って、

 

たくさんのやり取りも、電話も、予約も、いっぱいしてくれたもっくん。

 

ツアー材料は楽しそうな神話や、スピリチャルでパワフルな世界観でいっぱい!

 

ところが、依子はどんどん、どんどん塞ぎ込んでいってねえ…

 

とうとう、音信不通にまでなっちゃった。

 

もう、沖縄に行くのが怖くて怖くて、どうしようもなくて、

 

もっくんにお返事しなきゃならないのに、それさえできない。

 

おうちで体育座り状態。

 

約束は守らない、

 

連絡はしない、

 

わたしも、私に何が起きているのか、全く分からなかった。

 

でも、それは始まりに過ぎなかった。

 

旅行用の、小さなトランクを買った夕暮れどきのことだった。

 

泣いても笑っても、明日の夕方には、沖縄についてるんだな…

 

そうぼんやり思いながら、眠ってしまったくーやんを抱っこして、駅のホームに降りたとたん、携帯が鳴った。

 

ぷるるるる…

ぷるるる…

 

もっくんからだった。

 

『はい、依子です』

 

『依子さん?えー、おそらく、し、衝撃的なお知らせだと、思うんだけどね…』

 

『どうしたの?』

 

『いま、東京だよね?』

 

『うん、明日の沖縄行きのバッグ買ってたの』

 

『えーと、飛行機の予約日ね、今日、なのね』

 

今日。

 

今日と言うことは。

 


ヒコーキ乗り忘れた。

 

ということか?

 

 

『依子さん、今日じゅうに、沖縄に来る予定だったんだよね? えーと、つまり、乗ってないので、今日は、来れない、ということになる…よね』

 

どんな状況でも、

 

どんな状態でも優しさとおおきさで包んでくれる、もっくんの声を聴きながら、わたしはホームでへたり込んだ。

 

だって、私はすでに、この沖縄旅行の航空チケットを、2枚、流していた。

 

この沖縄ツアーは、いちど日程変更をしてるんだ。

 

でもキャンセルはできなかったから、わたしは、欲しい人にあげようと思って、もっくんに、そのチケットを欲しい方に渡してもらっていたのだ。

 

そして、ここでまた2度目のチケット流れ。

 

じつは、この沖縄ツアー、わたしは合計で、6枚くらいの航空チケットを、使わないままに流している。

 

力を使って、受取らない。

 

エネルギーをかけるのに、そのギフトを受取らない。

 

愛しても、愛されようとしない。

 

典型的な、『わたしは、愛されない!』を、現実化しようとしている3次元事象のオンパレードだった。

 

これが、『私自身なのか、バッグなのか、分からなくなっている部分』になるわけ。

 

そうして、これが恋愛関係だったりすると、こんな言いぶんになる。

 

『私はこんなに愛したのに、あなたは愛してくれなかった』

 

ってね。

 

ちゃんちゃら可笑しいよね。

 

自分で、愛されようとしないだけなんだから。

 

でも、止められないんだ。

 

嘘みたいだけど、ホントの話。

 

信じられないけど、そういうことが、この世界にはいっぱいある。

 

気がついて、いないだけ。

 

まるでどうにかなってしまったかのように、愛されることから逃げることしか、できなくなる。

 

これが、幸せを止めているブレーキ。

 

わたしの事例で、みんなに伝わるといいな。

 

だってさ、飛行機の時間確認して、乗るだけじゃん?

 

なんでそれをしないのさ、って話でしょう?

 

お金をきちんと、払っているのにさ。

 

エネルギーをかけているのにさ。

 

でも、私の頭からは、完全に抜け落ちてしまう。

 

やろうと思ってやってるわけじゃなくて、気づいたらそうなってしまう。

 

おそろしや。無意識。

 

もっくんは、たまったものではないよね。

 

でも、もっくんはいつでも

 

『大丈夫、だいじょーぶよ♪ すべてはうまくいってるから♪』

 

と言って、わたしを励まし続けてくれた。

 

そう、男性は、たくさん愛してくれている。

 

だから女性は、ただ、ただ、愛されていればいい。

 

でも、色んな事情があって、愛されることが恐ろしくて、逃げてしまうことがある。

 

逃げるというのは、

 

逆ギレしたり、ケンカを吹っ掛けたり、別れ話を持ち出したり、なぜか浮気したくなったり、だ。

 

自分の人生が、いつも同じようなところで足踏みすることに気づいたら

 

そこには必ず、自分の気がついていない、幸せブレーキの存在がある。

 

それが何なのかに気が付けたら、私たちは、するりと、とても簡単に、幸せになれたりするものなんだ。

 

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もっくんと私。ビーチでパチリコ★

 

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◆直近のイベント◆

・『私が愛されるわけがない』を物すごい勢いで手放すワーク(4月28日)
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『なんにもしない』が、『じぶんをいきる』だなんて。それを知ってしまう日がやってきた。

こんにちは、庶民派しゃーまん依子です。

 

明日は、ちょっとだけ募集しかけた沖縄ツアーに行ってきます。

 

この四月は、うんと特別なエネルギー。

 

四月なんて、毎回特別なんだけどさ。でも、あたしみたいに、自分でいることを諦めきれない人にとっては、やっぱ、最高に目が白黒するんじゃないかなあ。

 

四月の特徴は、『地割り』。

 

いま生きている人たちは、全員、3月20日の、春分の日くらいまで、ず~っと土を作ってきた、自分の人生という名のその土に、自分が選んだ種を植えた。

 

四月は、その種が、ちいさな芽を出すんだ。

 

その芽吹きのお手伝いをしたくてやったのが、こないだのイベント。

 

四月九日の、仙台ワーク。

 

『なにもしない6時間 JOY・JOY・JOY』


相棒の高橋かおりんが、このワークへの思いを書いてくれてる。

 

わたしは、自分のフェイスブックで、メールチームのみなさんに書いたんだ。

 

写真を何枚かとったよ。

 

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小さな頃、何して遊んでた?

 

これは、大事な問いかけ。

 

小さな頃、誰かのために遊ぶ子はいない。

 

みんな、自分が楽しいことをしてるだけなんだ。

 

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だから私のワークショップは、いつだって子ども大歓迎。

 

むしろ、私の伝えたいことは、

 

子どものいない空間じゃあ、お話しにならないことが多い。

 

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『トンネルー!』

 

ただの体育座りが、とつぜんに、穴くぐりの”楽しさ”へと変容する瞬間。

 

知ってる?

 

子どもたちは、ビジネス創りの天才なんだ。

 

全員が、すでに社長なんだ。起業家なんだ。

 

しかも、ものすごく上質な、ね。

 

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生まれつきの社長たちは、無茶が大好き。

 

無茶だなんて、思わないから、無茶ができる。

 

どうして?

 

『楽しそう!』

 

『どうなるんだろう?』

 

これだけなんだ。

 

ただ、ワクワクする、それだけ。

 

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椅子とテーブルで組み立てた迷路。

 

これは、わたしがつくったもの。

 

他人を見ては、ハハ~ンと真実を追及したり、説明したり、そればかりしていた私が、たったひとりでも、夢中になってやったもの。

 

それが、『迷路づくり』だった。

 

たったひとりでも、ってとこがポイント。

 

誰かの笑顔なんて、『自分を生きる』には、無関係なんだ。

 

誰かの笑顔をもとめるのは、男たちのすること。

 

女たちは、自分を幸せにしようと思ったら、他人の笑顔を求めないことだ。

 

自分一人だけで、楽しめる何か。

 

自分一人だけで、夢中になれる何か。

 

目的の達成も、ひとからの評価も、何も関係ない。

 

途中で放り投げたって、なんにも構わない。

 

それが、おんな流の幸せの形。

 

女でいるって、勝手なやつだって思われることとイコールだ。

 

始末に負えないって、思われるんじゃないか、ていう怖れと、いつも抱き合わせだ。

 

でも、そうでありたい。

 

あたしは、どうしようもなく、女でいることが好きなんだから。

 

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ぱちりこ★

 

依子

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直近のイベント

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自由恋愛がはやってるけど、それって当たり前だし、むしろ結婚のが貴重なんだけど。って話をするよ。

こんにちは、庶民派しゃーまん依子です。

今日からここでブログ書くことにしました。

 

愛と平和でめし三杯。

ブラックジョークでいつまでも笑えます。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

さっき恋人と結婚外の恋愛について話していたんだけどさ。

もうね、言いたい。

 

自由恋愛なんて、当たり前だ。

 

いま、いろんなところで、結婚してたら恋愛しちゃいけないのか、とか、ほかの人好きになったらいけないのか、とかほんとよく見かけるんだよね。

 

恋愛って、ひとを好きになるって、自然じゃない?

 

自然だから、だれにも止められないよね。

 

雨に降るな、って怒ったって無理。

 

明日は太陽は昇っちゃダメ、なんてお願いしたって無理。

 

だって、それが自然だから。

 

誰かに恋をするときも同じだよね。気持ちの流れは止められない。

 

でも、結婚していると、その自然な気持ちの変化は、突然に『いけないこと』になる。

 

まるで、子ども時代にはセックスの話はタブーだったのに、

 

大人になったとたんに『子どもはまだなの?』とか聞いてくるくらいの激しいギャップ。

 

自然に好きになって結婚したなら、結婚してたって自然にひとを好きになるの、当たり前だと思う。

 

わたしの二度目の離婚は、彼の浮気がキッカケだったけど、今なら思うもんね。

 

なんで誰かを好きになった彼が責められるんだ?

 

彼にとって、私より魅力的だな、と感じた女性が出てきただけじゃん。って。

 

結婚てなに?

 

結婚は、ひとを好きになる気持ちに歯止めをかけておける、鎖みたいなものなの?

そんなに不自由なものじゃないでしょって思う。

 

結婚したら、自由がなくなるって感じるひともいるよね。

 

でも、そうかなあ。

 

私はそうは思わない。

 

むしろ、自分のやりたいこと、2倍以上できるようになるんじゃない?

 

しかも、おんなとして、男として、ぐんと魅力的になれる。

 

それが結婚。

 

だってさ、結婚したからって、その人と一生一緒にいるわけじゃないんだよ?

 

結婚しても、パートナー以上に好きだと感じる人ができたら、そのひとを好きになるのは自然なことだから。

 

でも、ここでエゴが言うんだよね。

 

お前は、いままで共に暮らしてきた彼を(彼女を)傷つけるのか?

 

みたいなことをさ。

 

そりゃ、傷つくのもわかるよ。

 

わたしも、そーとー最初は傷ついたもん。

 

でもそれって、パートナーがほかの人を好きになったから傷ついたんじゃないよね、って思う。

 

もともと、女としての自信が無いから傷つくんだ。

 

男は狩りをするし、種を残したいから、ほかの男にとられると自尊心が傷つくっていうのはなんとなくわかるけど、女は違うでしょ、と思う。

 

女はタフだからね。

 

もとから傷がついていたら、女を喜ばせるために存在している男たちは、その傷を治してあげたくて、ちゃーんと傷の痛むようなしかたで振ってくれる。

 

そこで女たちは、もとからついていたのに、ずーっと放っておいた傷に気づいて、きちんと治してあげたらいいんだと思う。

 

いまは質のいいセラピーもセッションもたくさんあるしね。

 

男の傷は男で治すのがいちばんいいけれど、絶望が深い場合はそれどころじゃないから、ほんと、ワークショップとかでしっかり傷治したら、ちゃんともとの、元気で素敵ないい女に戻れる。

 

わたしは、女も男も、別れに対する幻想=だれかを傷つける この方式が、なんで出来ちゃったのかを見つめたらいいよね、って思ってる。

 

これって、死を受け入れられていないのかな~って思う。

 

だって、いつか別れるのは当たり前だもん。

 

人を好きになるのが自然なら、

 

人が生まれるのも自然で、

 

誰かより誰かを好きになって、別れが来るのも自然なら、

 

誰かが死ぬのも自然なこと。

 

それは、春が来て、夏が来るように、誰にも止められないんだと、私は思う。

 

だったら、特定のパートナーを持たなければいいんじゃない?という考えもあると思う。

 

もしくは、ポリアモリーのように、自由に、複数の異性たちと恋愛をする。

 

わたしは生まれつきのポリアモリーで、小さな頃から、誰か一人だけの異性を好きになったことが無い。

 

いつも複数の人を好きになっていたこと、みんな同じくらい好きで、誰も選ばないので嫉妬されていたことなどを、最近になって思い出した。

 

それが、いつの頃からか、たった一人の人を一途に愛する!なんてことをやりはじめてしまった。

 

なにがあったのか自分の記憶をさかのぼってみたら、思い当たる節がでてきたけれど、複数恋愛と、一途恋愛を両方経験してみて思ったのはこうだ。

 

結婚は、人類最大の奇跡。

 

だってさ、不自然なんだよ、ひとりの男女が、ず~っとつがいのまま、一生を終えるなんてさ。

 

自然なのは、自由に恋愛する方。

 

そっちのが当たりまえ。

 

なのに、結婚して、パートナーシップを組んで、

 

どんな魅力的な人が出てきても

 

どんなにひどいケンカや、言い争いや、罵倒の言葉があったとしても

 

どんなに我慢や、妥協や、わかりあえない悔しさがあったとしても。

 

それでも、ありとあらゆる困難や、もうだめだと思える障壁を、なにはなくとも、自分の選んだパートナーを、一回、一回、選びなおしては、また、人生を前に進めてゆく。

 

これってさ、相当のミラクルじゃん。

 

何度も、何度も諦めようと思ったの、想像できるじゃん。

 

でも、なんどもパートナーと一緒にいることを、選ぶわけじゃん。

 

『それしかなかった』っていうかもしれない。

 

『子どもがいるから』っていうかもしれない。

 

だけど、『それしかない』って気持ちは、まるで、急流の川に身をまかせて、自分の運命を信じる、勇気と信頼に似ている。

 

それができるってすごいじゃん。

 

『子どもがいるから』って気持ちだってそう。

 

もし、結婚して、さまざまな難関を、あきらめずに前に進む力を与え続けていたのが子どもたちなのだとしたら、

 

お母さんは我慢ばっかで、ちっとも幸せそうじゃなかったのに、自分のせいで離婚しなかったなんて重いわー、とか文句言ってる場合かって思う。

 

だって、さまざまな困難を乗り越える力をあたえて、

 

ずっとつがいでいるなんてゆー不自然さを越えて”結婚”という冒険をつづけることができたのは

 

『子どもがいるから』だったんでしょう?

 

それって、自分はなんて素敵な、奇跡をも起こす力のあった存在なんだろう!

 

そういう真実しかないじゃんね。

 

何度も言うけど、結婚したらず~っと一緒にいる、っていうことじたい、”不自然”なんだよ。

結婚したって、パートナーに魅力を感じなくなったら

 

そして、それを相手にシェアして、なおかつ、パートナーが、自分を魅力的にするための努力をしないことを選ぶんだったら。

(しないことを選んだって自由だからね)

 

それなら、魅力的じゃないパートナーと一緒にいる理由はないし

 

別れたらいいのよ。それってふつー。

 

だからこそ。

 

だからこそ、結婚関係を、一対のパートナーシップを、棺桶に入るまで続けられただけでも、最ッ高の奇跡。

 

ケンカが何だ。

 

浮気が何だ。

 

そんなん当たり前だ。

 

その”当たり前”を、なんども、なんども、なんども、『選びなおす力』を使って、人生かけて、”不自然”なはずの結婚関係をつづけることを選ぶ。

 

これってすごくない?

 

あたしは、結婚を続ける人は本当にすごいと思う。

 

パートナーを、何度も、何度も、何度も『選びなおす』って、本当にすごいと思う。

 

私にとって、自由な恋愛の方が当たり前。

 

結婚して、パートナーシップを組んだからって、その自由はだれにも止められない。だって、人を好きになる気持ちは、自然におこるものだから。

 

いけない、なんて言われたって、好きになっちゃったものはどうしようもないじゃない。

 

だけど、不自然な結婚という形の素晴らしいところはここからだ。

 

相手に、『NO』を言われたら、どちらでも選択できるからだ。

パートナーにできた、新しいだれかより、もっと魅力的な自分になろうとするか。

 

それとも、そんな魅力をつける努力をするくらいなら、お別れする方を選ぶか。

 

現実を直視する力が、ここでは大事になる。

 

パートナーから、『あなたより、魅力的な人がいる』と言われている事実だ。

 

そこで奮起して、どこが負けてるんだ?!と、自分を磨こうとする行為は本当に美しいと思う。

 

だって、パートナーを愛してなかったら、そんな努力をする気にもならないだろうから。

 

愛してるから、これからも一緒にいたいから、だから、『自分の方が、もっと魅力的だよ!』とアピールできる自分になるための、きっつい努力ができるんだ。

 

 

 

一緒にいたい。

 

あなたに、もう一度選ばれたい。

 

そのためなら、自分を磨くことを惜しんだりしない。

 

それくらい、誰かのことを本気で愛する。

 

それって、ほんっとに美しいと私は思うんだ。

 

 

結婚したら、自動的に一生いっしょにいられる、なんて思い上がりだと思う。

 

ひとは、成長し続ける。

 

成長して、ちいさくなった大好きな服を手放すときのように、別れは、大人になったってやってくる。

 

成長していくことは、止められない、だって、自然だから。

 

魅力を感じる心が成長して、結婚したパートナーに、『NO』を言われたなら、わたしはまず、自分を急激に成長させる痛みを味わってでも、その人と一緒にいたいかを自分に問うだろう。

 

そして、答えが『YES』なら、葛藤をこえて、ふるえるような冒険のこころを胸に、じぶんを磨き上げるだろう。


わたしが、自由恋愛より、結婚にロマンチックを感じる理由はここにある。

 

自由なのは、あたりまえ。

 

でも、結婚は、ともに、おなじようなリズムとペースで、おたがいが成長していかなければ、壊れてしまってもおかしくない。

 

おかしくないのに、保つこともできる。

 

それは、ふたりが、自分を成長させることを、つねに新鮮な魅力をつちかうことを、おざなりにしないから。

 

自分のいのちを、新鮮に輝かせることに、惜しまないから。

 

自分のいのちの時間を、大切に、大切にしているからできること。

 

そんなふたりは、自分のことを愛した分だけ、パートナーのことを愛するだろうし、

 

もし進む道がちがって別れることになったとしても、

 

自分の愛したパートナーのゆくであろう道を、こころからハグして何よりの応援者として祝福できる関係になるだろう。

 

結婚という不自然さのロマンチック。

 

ずっと、お互いを選び続ける、という、ハードボイルドなロマンチック。

 

一生、相手にとって、魅力的な自分を更新し続けることを誓う、という、最高にエキサイティングなロマンチック。

 

わたしは、ポリアモリーとして、結婚の不自然さに憧れている。

 

その不自由さの中で、愛を輝かせてみたい。

 

愛を更新し続けてみたい。

 

不自然さを、絶妙なバランスで、繋がりあっていきたい。

 

なんてロマンチック。

 

結婚という、不自然さのロマンチック。

 

ポリアモリー、一途恋愛、そして、さらにポリアモリーに戻ってみたわたしの結論はこうだ。

 

よし、結婚しよう。

 

一生、恋し続ける結婚を経験したいから。

 

一生、自分という存在を輝かせ、魅了しつづけ、更新し続けることで、

 

どこまでパートナーをわたしに恋させておくことができるのか

 

私自身も、パートナーに恋し続けることができるのか

 

その果てにあるものは、なんなのか。

 

わたしは、それが知りたい。

 

自由恋愛にはない、結婚という不自然を繋ぐものは、自分への、愛。

 

ま、

 

これを経験してからだったら、またポリアモリーになってもいいかな~って思う。

 

だって、あたし飽き性だから。