自由恋愛がはやってるけど、それって当たり前だし、むしろ結婚のが貴重なんだけど。って話をするよ。
こんにちは、庶民派しゃーまん依子です。
今日からここでブログ書くことにしました。
愛と平和でめし三杯。
ブラックジョークでいつまでも笑えます。
どうぞよろしくお願いします。
さっき恋人と結婚外の恋愛について話していたんだけどさ。
もうね、言いたい。
自由恋愛なんて、当たり前だ。
いま、いろんなところで、結婚してたら恋愛しちゃいけないのか、とか、ほかの人好きになったらいけないのか、とかほんとよく見かけるんだよね。
恋愛って、ひとを好きになるって、自然じゃない?
自然だから、だれにも止められないよね。
雨に降るな、って怒ったって無理。
明日は太陽は昇っちゃダメ、なんてお願いしたって無理。
だって、それが自然だから。
誰かに恋をするときも同じだよね。気持ちの流れは止められない。
でも、結婚していると、その自然な気持ちの変化は、突然に『いけないこと』になる。
まるで、子ども時代にはセックスの話はタブーだったのに、
大人になったとたんに『子どもはまだなの?』とか聞いてくるくらいの激しいギャップ。
自然に好きになって結婚したなら、結婚してたって自然にひとを好きになるの、当たり前だと思う。
わたしの二度目の離婚は、彼の浮気がキッカケだったけど、今なら思うもんね。
なんで誰かを好きになった彼が責められるんだ?
彼にとって、私より魅力的だな、と感じた女性が出てきただけじゃん。って。
結婚てなに?
結婚は、ひとを好きになる気持ちに歯止めをかけておける、鎖みたいなものなの?
そんなに不自由なものじゃないでしょって思う。
結婚したら、自由がなくなるって感じるひともいるよね。
でも、そうかなあ。
私はそうは思わない。
むしろ、自分のやりたいこと、2倍以上できるようになるんじゃない?
しかも、おんなとして、男として、ぐんと魅力的になれる。
それが結婚。
だってさ、結婚したからって、その人と一生一緒にいるわけじゃないんだよ?
結婚しても、パートナー以上に好きだと感じる人ができたら、そのひとを好きになるのは自然なことだから。
でも、ここでエゴが言うんだよね。
お前は、いままで共に暮らしてきた彼を(彼女を)傷つけるのか?
みたいなことをさ。
そりゃ、傷つくのもわかるよ。
わたしも、そーとー最初は傷ついたもん。
でもそれって、パートナーがほかの人を好きになったから傷ついたんじゃないよね、って思う。
もともと、女としての自信が無いから傷つくんだ。
男は狩りをするし、種を残したいから、ほかの男にとられると自尊心が傷つくっていうのはなんとなくわかるけど、女は違うでしょ、と思う。
女はタフだからね。
もとから傷がついていたら、女を喜ばせるために存在している男たちは、その傷を治してあげたくて、ちゃーんと傷の痛むようなしかたで振ってくれる。
そこで女たちは、もとからついていたのに、ずーっと放っておいた傷に気づいて、きちんと治してあげたらいいんだと思う。
いまは質のいいセラピーもセッションもたくさんあるしね。
男の傷は男で治すのがいちばんいいけれど、絶望が深い場合はそれどころじゃないから、ほんと、ワークショップとかでしっかり傷治したら、ちゃんともとの、元気で素敵ないい女に戻れる。
わたしは、女も男も、別れに対する幻想=だれかを傷つける この方式が、なんで出来ちゃったのかを見つめたらいいよね、って思ってる。
これって、死を受け入れられていないのかな~って思う。
だって、いつか別れるのは当たり前だもん。
人を好きになるのが自然なら、
人が生まれるのも自然で、
誰かより誰かを好きになって、別れが来るのも自然なら、
誰かが死ぬのも自然なこと。
それは、春が来て、夏が来るように、誰にも止められないんだと、私は思う。
だったら、特定のパートナーを持たなければいいんじゃない?という考えもあると思う。
もしくは、ポリアモリーのように、自由に、複数の異性たちと恋愛をする。
わたしは生まれつきのポリアモリーで、小さな頃から、誰か一人だけの異性を好きになったことが無い。
いつも複数の人を好きになっていたこと、みんな同じくらい好きで、誰も選ばないので嫉妬されていたことなどを、最近になって思い出した。
それが、いつの頃からか、たった一人の人を一途に愛する!なんてことをやりはじめてしまった。
なにがあったのか自分の記憶をさかのぼってみたら、思い当たる節がでてきたけれど、複数恋愛と、一途恋愛を両方経験してみて思ったのはこうだ。
結婚は、人類最大の奇跡。
だってさ、不自然なんだよ、ひとりの男女が、ず~っとつがいのまま、一生を終えるなんてさ。
自然なのは、自由に恋愛する方。
そっちのが当たりまえ。
なのに、結婚して、パートナーシップを組んで、
どんな魅力的な人が出てきても
どんなにひどいケンカや、言い争いや、罵倒の言葉があったとしても
どんなに我慢や、妥協や、わかりあえない悔しさがあったとしても。
それでも、ありとあらゆる困難や、もうだめだと思える障壁を、なにはなくとも、自分の選んだパートナーを、一回、一回、選びなおしては、また、人生を前に進めてゆく。
これってさ、相当のミラクルじゃん。
何度も、何度も諦めようと思ったの、想像できるじゃん。
でも、なんどもパートナーと一緒にいることを、選ぶわけじゃん。
『それしかなかった』っていうかもしれない。
『子どもがいるから』っていうかもしれない。
だけど、『それしかない』って気持ちは、まるで、急流の川に身をまかせて、自分の運命を信じる、勇気と信頼に似ている。
それができるってすごいじゃん。
『子どもがいるから』って気持ちだってそう。
もし、結婚して、さまざまな難関を、あきらめずに前に進む力を与え続けていたのが子どもたちなのだとしたら、
お母さんは我慢ばっかで、ちっとも幸せそうじゃなかったのに、自分のせいで離婚しなかったなんて重いわー、とか文句言ってる場合かって思う。
だって、さまざまな困難を乗り越える力をあたえて、
ずっとつがいでいるなんてゆー不自然さを越えて”結婚”という冒険をつづけることができたのは
『子どもがいるから』だったんでしょう?
それって、自分はなんて素敵な、奇跡をも起こす力のあった存在なんだろう!
そういう真実しかないじゃんね。
何度も言うけど、結婚したらず~っと一緒にいる、っていうことじたい、”不自然”なんだよ。
結婚したって、パートナーに魅力を感じなくなったら
そして、それを相手にシェアして、なおかつ、パートナーが、自分を魅力的にするための努力をしないことを選ぶんだったら。
(しないことを選んだって自由だからね)
それなら、魅力的じゃないパートナーと一緒にいる理由はないし
別れたらいいのよ。それってふつー。
だからこそ。
だからこそ、結婚関係を、一対のパートナーシップを、棺桶に入るまで続けられただけでも、最ッ高の奇跡。
ケンカが何だ。
浮気が何だ。
そんなん当たり前だ。
その”当たり前”を、なんども、なんども、なんども、『選びなおす力』を使って、人生かけて、”不自然”なはずの結婚関係をつづけることを選ぶ。
これってすごくない?
あたしは、結婚を続ける人は本当にすごいと思う。
パートナーを、何度も、何度も、何度も『選びなおす』って、本当にすごいと思う。
私にとって、自由な恋愛の方が当たり前。
結婚して、パートナーシップを組んだからって、その自由はだれにも止められない。だって、人を好きになる気持ちは、自然におこるものだから。
いけない、なんて言われたって、好きになっちゃったものはどうしようもないじゃない。
だけど、不自然な結婚という形の素晴らしいところはここからだ。
相手に、『NO』を言われたら、どちらでも選択できるからだ。
パートナーにできた、新しいだれかより、もっと魅力的な自分になろうとするか。
それとも、そんな魅力をつける努力をするくらいなら、お別れする方を選ぶか。
現実を直視する力が、ここでは大事になる。
パートナーから、『あなたより、魅力的な人がいる』と言われている事実だ。
そこで奮起して、どこが負けてるんだ?!と、自分を磨こうとする行為は本当に美しいと思う。
だって、パートナーを愛してなかったら、そんな努力をする気にもならないだろうから。
愛してるから、これからも一緒にいたいから、だから、『自分の方が、もっと魅力的だよ!』とアピールできる自分になるための、きっつい努力ができるんだ。
一緒にいたい。
あなたに、もう一度選ばれたい。
そのためなら、自分を磨くことを惜しんだりしない。
それくらい、誰かのことを本気で愛する。
それって、ほんっとに美しいと私は思うんだ。
結婚したら、自動的に一生いっしょにいられる、なんて思い上がりだと思う。
ひとは、成長し続ける。
成長して、ちいさくなった大好きな服を手放すときのように、別れは、大人になったってやってくる。
成長していくことは、止められない、だって、自然だから。
魅力を感じる心が成長して、結婚したパートナーに、『NO』を言われたなら、わたしはまず、自分を急激に成長させる痛みを味わってでも、その人と一緒にいたいかを自分に問うだろう。
そして、答えが『YES』なら、葛藤をこえて、ふるえるような冒険のこころを胸に、じぶんを磨き上げるだろう。
わたしが、自由恋愛より、結婚にロマンチックを感じる理由はここにある。
自由なのは、あたりまえ。
でも、結婚は、ともに、おなじようなリズムとペースで、おたがいが成長していかなければ、壊れてしまってもおかしくない。
おかしくないのに、保つこともできる。
それは、ふたりが、自分を成長させることを、つねに新鮮な魅力をつちかうことを、おざなりにしないから。
自分のいのちを、新鮮に輝かせることに、惜しまないから。
自分のいのちの時間を、大切に、大切にしているからできること。
そんなふたりは、自分のことを愛した分だけ、パートナーのことを愛するだろうし、
もし進む道がちがって別れることになったとしても、
自分の愛したパートナーのゆくであろう道を、こころからハグして何よりの応援者として祝福できる関係になるだろう。
結婚という不自然さのロマンチック。
ずっと、お互いを選び続ける、という、ハードボイルドなロマンチック。
一生、相手にとって、魅力的な自分を更新し続けることを誓う、という、最高にエキサイティングなロマンチック。
わたしは、ポリアモリーとして、結婚の不自然さに憧れている。
その不自由さの中で、愛を輝かせてみたい。
愛を更新し続けてみたい。
不自然さを、絶妙なバランスで、繋がりあっていきたい。
なんてロマンチック。
結婚という、不自然さのロマンチック。
ポリアモリー、一途恋愛、そして、さらにポリアモリーに戻ってみたわたしの結論はこうだ。
よし、結婚しよう。
一生、恋し続ける結婚を経験したいから。
一生、自分という存在を輝かせ、魅了しつづけ、更新し続けることで、
どこまでパートナーをわたしに恋させておくことができるのか
私自身も、パートナーに恋し続けることができるのか
その果てにあるものは、なんなのか。
わたしは、それが知りたい。
自由恋愛にはない、結婚という不自然を繋ぐものは、自分への、愛。
ま、
これを経験してからだったら、またポリアモリーになってもいいかな~って思う。
だって、あたし飽き性だから。